いざ飛鳥へ④ 「誰がどのように?」今後の研究が楽しみ(Who/How編)

6世紀から7世紀にヤマト政権を巡って誰が何をしたのかはほぼ明らかになっている。ただし、その出典は古事記、日本書記という”正史”に多くを頼っている。藤原氏が天皇中枢に近づいたとき、藤原氏がリードして完成した歴史書である。ヤマト政権および我が一族の正当性を神格化するのが第一目標であり、大なり小なりのフィクションが入っているのは間違いない。たとえば聖徳太子は記紀がでっち上げた架空の人物像だという歴史学者もいる。少なくとも聖徳太子という名前は本人存命中はあり得ないということはオーソライズされたようで、今では子どもの教科書から聖徳太子という名前はなくなり、厩戸皇子に書き換えられているようだ。

『古事記』(池澤夏樹訳、河出書房新社)

しかし、6~7世紀頃の登場人物と主要な事件は概ね明らかにされている。大きな謎になっているのは、3世紀中ごろに亡くなったとされている卑弥呼の邪馬台国がどのように成立し、どのようにヤマト政権につながったのかだ。まだまだ定説はできていない。

その謎を解く手がかりはあるようだ。まだ発掘調査が及んでいないところがたくさん残っている。飛鳥時代の前に政権があった場所は少し東方の今の桜井市だ。三輪山や大神(オオミワ)神社などが神がかった姿を見せているが、その近くの纏向遺跡の発掘には大きな期待がかかる。邪馬台国の都だったかもしれない。そして近くの箸墓古墳は卑弥呼の墓かもしれないとみられている。しかし纏向遺跡の発掘はまだまだこれから時間がかかる(たくさんの住宅の下にある)。箸墓古墳の探求の前には宮内庁が立ちはだかって学者が立ち入ることさえできない。でも時間はかかるが、解明は進むに違いない。これからの発見が楽しみである。

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