実は飛鳥に行くのは、国ってなんだろうという疑問から。日本という国が出来た当時の状況、その5W1Hを実感することが目的だった。その目的は、ほぼほぼ達成できた。実はなんども足しげく奈良に足を運ぶつもりだった。でも1回で、だいたいのイメージを掴むことはできた。
ところがスッキリしないのである。日本という国が形を成す状況を理解したかったのは、”国”が今後どうなっていくのかを考えるためだった。しかし飛鳥に行ったあとも、国がこの先どうなるかの思考は一歩も進んでいないと感じる。う~ん・・・。
巨大な大神(オオミワ)神社の向こうに三輪山がたたずむ |
国が出来上がる経緯はイメージできたが、whatが判然としない。what=国。しからば国とは何かと考えると、答えは遠い・・・。
「国とはなにか、今後国はどうなっていくのか・・・」については、しばらく考え続けることになりそうだ。日本に国ができたのは高々1300年前くらいだが、「国に対するアイデンティティ」がいつ頃できたかは、日本の中でも場所によって大きく違うだろう。さらに戦国時代の庶民は日本国というものに帰属意識なんて持たなかっただろう。ヨーロッパでも、国への帰属意識が強くなったのは17世紀頃かららしい(たとえば佐藤優氏の著作『地政学入門』p.169)。さらに21世紀になって勝手に国境線を定められた中東の国々の人たちはどんな意識を持っているのだろう。一方で、スポーツの国際的な対戦では国家ナショナリズムが燃え上がる。シラケるほどに熱を帯びて応援している。あの燃え方はやめてほしいなぁ・・・。
コメント
コメントを投稿