挨拶の意味?! ボス猿登場の条件!

「きちんと挨拶しましょう」---昔も今も、子どもたちはこう教わる。
「私はきちんとした人です。敵ではありません」というシグナルを相手に示す。

ただ、挨拶はそういう意味だけではないことを京都大学が拓いた、いわゆるサル学が教えてくれた。どちらが上位でどちらが下位かを、いちいち喧嘩せずに確認する手段でもあるのだと。

確かに、出会うたびに血みどろになっていてはかなわない。合理的な方法だ。特に競争が激しいチンパンジーの世界では、いろんな挨拶があるらしい。
(姿勢を低くして手の甲にキスする仕草さえあるらしい)

頭を下げない挨拶

そこで気付く。あぁ、人間の挨拶にもそれがある!子どもたちが教わる挨拶はおおむね頭を下げる。ところが頭を引き上げる仕草で挨拶する人間がいるじゃないか。
たとえば”社長”である。

たとえば往年の映画「社長シリーズ」では、なにかとゴマをする役の、三木のり平がぺこぺこすると、社長である森繁久彌は「おぅ」という感じで顎を引くような挨拶を返す。どちらが偉いかということを確認する儀式が挨拶だったのだ。

面白くなる。会社員時代を思い出す。若い頃はどちらの案が合理的かを喧々諤々議論し、でも頭は低く”いい奴”だったのに、50歳前後あたりだろうか、離れたセクションでけっこう肩書が付くころから、「どうしてあいつはあんなになっちゃったんだ??」と思う輩が出てくる。

人と目を合わせようとしない。なんだか偉そうに挨拶する。仕事の話をしに行っても「それいいね、やろう!」というテンポにならず、ややこしい話になる。場合によっては、嘘をつくようになる。・・・どうやら、自分のボスの意に沿わないことは一切しない人物になっている。それが、当然のことと思っているらしい。「・・・おかしいなぁ、人格が変わっちゃった」、と思わせる。

こうした変貌を遂げる人物は珍しくないのだと思う。要は定年が見えて来る年齢になり、たとえば役員で残ることを目指して、ボスに気に入られようとゴマをする、あるいは小ボス間の勢力争いに参加する。社長シリーズでいけば、 若き硬骨漢だった小林桂樹が、あるときからゴマすり三木のり平に変貌するようなものである。

ボス猿は自然の中では生まれない

でも歳をとってから変貌するのはなぜか。

先のコースが見えてきて、昇進するために行動する以外の選択がなくなったと思わせるころからの変貌だ。第一に優先するのは「ボスに気に入られる」ことになる。
若い頃の合理性追求の姿勢は消えてなくなる。要はボスの配下に身を置いたわけだ。

ここで再び、サル学は面白い知見を与えてくれる。ボス猿という言い方は確かに初期のサル学で使っていたようだ。しかし、もはやボス猿という言葉は死語なのだという。

当初は幸島などの日本猿を餌付けし、ボスのいる集団を観測するところからサル学は始まった。しかし間もなく、日本中、サルが生息するところに出向いて観測するようになる。そして伊沢紘生氏が餌付けされていない日本猿を長年観察し、自然界にボス猿はいないことを1982年刊行の著作『ニホンザルの生態』で明らかにした。

実は餌付けされ、餌を獲得するために激烈な競争がある場合にはボス猿に見える存在が生まれるが、餌の獲得にそれほど苦労しない自然界では、ボス猿はいないという(この発見過程は、『サル学の現在』(立花隆著、1996年発行)のpp.111-142参照)。
(注)サル学ではもはやボス猿という言葉は使っていないが、一番力の強いオス猿をアルファ・メイルと呼んだりしている。

これで、中年になるとゴマすりに変貌する輩が出てくるわけが解けた!先のポストが見えてきて、そこを目指すしか選択肢がないように見える状態、ここではボスを喜ばせれば”エサ”をもらえるが、ボスに逆らえば権力集団から見放されることになる。

つまりは餌付けされた状態になり、ボスと子分の関係が初めて生まれるわけだ。若い頃は自然の中で自由に合理性を追求していた輩も、こうして餌付けされ、ボス集団にからめとられてしまうわけだ。

何も会社に限った話ではない。たとえば奈良での演説中に狙撃されて亡くなった日本の首相と彼を取り巻く政治家達。もちろんヤクザの世界が成り立つのもこういうわけだろう。いずれも餌付けされてしまった集団だ。

さらに、定年延長者には挨拶できない若き役員たちも・・・

ここまで書いたらもう少し書いてしまいたくなった。昨今は定年が65歳とか70歳まで延長されることになってきた。ただし役職はなくなって給与は大幅に減る。
そしてこうして会社に残った人が、上記のような餌付け環境を生き抜いて役員ポストを勝ち取ったような年下の上役と出会ったらどういうことになるか。

格下に頭を下げる挨拶はしなくなった若き役員が、かつての上司だったりする定年延長者に会ったとき、頭を引き上げる挨拶をする人もいるだろう。頭を低くした挨拶ができる人もいるだろう。でも中には、どちらの挨拶も苦しくて、気付かない振りをして通り過ぎる人がいる。

目を泳がして無視されるー--年長者側は気持ちがよいわけはない。
やはり、定年延長に乗るのは、面白くなさそうだ。

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